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『真夜中のミサ』ネタバレ感想:小さな島で起こる怪異と奇跡

Netflix『真夜中のミサ』

Netflixドラマ『真夜中のミサ』全7話を視聴しました。宗教色の強いミステリーホラードラマです。聖書からの引用が沢山あるのですが、知らなくても楽しめました。キリスト教や聖書の知識があるとより一層楽しめそうですね。得体のしれない存在の不気味さ、過激化していく信者の恐ろしさ、人を愛し赦すという感動が詰まっていました。原題は『Midnight Mass』です。

監督・脚本はマイク・フラナガンが務めています。フラナガン監督の他の作品も見てみたくなりました。まずは、マイリストに入れたまま未視聴の『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を見てみようかな。

あらすじ

ライリー・フリンは飲酒運転で事故を起こし、少女を轢き殺してしまう。4年の服役後、ライリーは故郷であるクロケット島に戻って来た。海に囲まれた人口127人の小さな島の主な産業は漁業で、住民の多くはカトリック教徒だったがミサの参加人数は少なく活気はなくなっていた。母アニーはライリーの帰島を歓迎するが、父エドと弟ウォーレンは戸惑っている。同じ頃、一人の若い神父がクロケット島にやって来た。巡礼の旅に出たまま体調を崩した島の老司祭・プルーイットの代役を務めに来たと言う。新たな神父のおかげで教会に活気が戻り始めるが、住民同士が抱えていた対立も深まっていく。

予告動画

登場人物&キャスト

ライリー・フリン

飲酒運転で事故を起こし、少女を殺してしまった男。服役後に生まれ故郷であるクロケット島に戻って来ました。服役中に信仰心を失くして無神論者となり、自らの犯した罪に苦しんでいます。演じているのはザック・ギルフォード。

エリン・グリーン

ライリーの幼馴染。一度は島を出て女優を目指しましたが、今は島の教師をしています。島に戻ったライリーと交流してくれる数少ない住民です。元夫との子を妊娠中。演じているのはケイト・シーゲル。フラナガン監督の妻だそうです。

ポール・ヒル

旅先で不調となった島の老司祭・プルーイットの代わりに派遣されたという若い神父。熱心な神父ですが謎めいています。演じているのはハミッシュ・リンクレイター。

ベヴァリー・キーン

島の聖パトリック教会に奉仕する熱心で威圧的な女性。排他的な傾向があり、島のコミュニティにも影響力を持っています。演じているのはサマンサ・スローヤン。

ハッサン

島の保安官。イスラム教徒で、他界した妻との間に一人息子・アリがいます。異教徒であることから住民と波風立てないよう気を付けています。演じているのはラフル・コーリ。

リーザ・スカボロー

足が不自由で車椅子を使用している少女。ライリーの弟・ウォーレンと良い仲です。父は島の町長。演じているのはアナラー・サイモン。

サラ・ガニング

島の医者。エリンの友人です。高齢で認知症の母親ミルドレッドの世話をしています。母は敬虔な信者ですが、サラは教会に通っていません。演じているのはアナベス・ギッシュ。

ネタバレ感想

舞台となるクロケット島

飲酒運転で死亡事故を起こしてしまったライリー・フリンが4年の服役後に帰って来た故郷クロケット島は、海に囲まれたとても小さな島です。本土(アメリカ本土だと思われます)と島を結ぶ定期船が一日二便出ているようです。3年前に石油会社が石油流出事故を起こし、しばらく漁ができず魚も食べられずだったとライリーの母・アニーが愚痴っていましたね。不便で娯楽も少ない閉鎖的な場所なので、出て行ってしまう人が増えて絶賛人口減少中の島なわけですが、島内には学校があって子供もいます。島には聖パトリック教会があり、住民の大半はカトリック教徒なわけですが、ミサに通う熱心な信徒は少なくなってきています。

不便さも勿論ですが、こういう小さなコミュニティだと住民全員が顔見知りになるわけで、〇〇さんちの××くんが何をしたっていう話は皆が知ってる状態になるわけじゃないですか。こういうの、個人的にはほんとキッツイと思うんですよね。飲酒運転で人身事故を起こしたライリーにとって、この環境でのやり直しはなかなか大変でしょう。それも彼が受けるべき罰のうちかもしれませんが。

島にはハッサンという保安官がいるのですが、彼は最近赴任してきたばかりの新参者で、イスラム教徒であることもあり、住民とはまだ信頼関係を築けていません。特に熱心なキリスト教徒であるべヴァリーは異教徒である保安官への当たりがキツイです。ベヴァリーはアルコール依存症のジョーに対してもあからさまに敵意を見せていたり、ライリーのことも不信に思っていたりと、認めない人間に対して非常に見下した態度をとりがちです。なので、陰で少年たちから揶揄されたりクレイジーだって言われちゃったりしてます。教師であるエリンも独善的で高圧的なベヴァリーをあまり良く思ってません。住民同士の不和がある状態ですね。

いつもどこかどんよりとした雰囲気の島で、私はここには住みたくないと思ったのですが、景色はとても綺麗です。小屋みたいな家々が可愛らしいですし、何といっても雄大な空が綺麗。一日観光に訪れたりするのはいいかもしれない…けど、これといった観光スポットもなさそうでしたね。驚いたのは、こんな僻地でも子供たちがマリファナをやってるってことです。流石アメリカ、こんなとこにも売人がいるとは。

ポール神父の奇跡と正体

ライリーが島に帰って来たのと時を同じくして、巡礼先で病気にかかったというプルーイット司祭の代役を務めにポール神父がやって来ます。ポール神父が来てから、次々と奇跡が起こりました。車椅子の少女・リーザが歩けるようになったり、住民の体の不調が治ったり、サラの母・ミルドレッドの認知症が回復して肉体も若返ったり。ポール神父の奇跡のおかげで教会を訪れる人が溢れ返るようになりました。保安官の息子でイスラム教徒の少年・アリも奇跡を起こすキリスト教に興味を持ち始め、父に逆らってミサに参加するようになります。

奇跡が起こる一方で、不可解なことも起こっていました。嵐の翌日に大量の猫の死体が浜辺に打ち上げられていたり、立て続けに行方不明者が出たり、妊娠していたエリンが流産の自覚もないのに胎児を失っていたり。医者であるサラは不可解な現象を見せるエリンやミルドレッドの血液検査を行いました。すると、採取した血液の一部が日の光で燃えたのです。これらの不可解な現象に気付いたのは極少数の住民だけでした。

実は、ポール神父は秘密を抱えていました。彼はプルーイット司祭の代わりで来たわけではありませんでした。ポール神父はプルーイット司祭本人だったのです。認知症の症状がある身で巡礼の旅に出たプルーイット司祭はグループとはぐれ、一人、激しい砂嵐の中を彷徨い歩いていました。砂漠に埋もれていた古代遺跡のような洞窟へと入り、真っ暗闇の中、巨大な蝙蝠のような翼を持った”天使”と出会ったのです。”天使”は司祭の首に食らいついて血を貪った後、恐怖の中で祈りの言葉を口にする司祭に自らの血を飲ませました。”天使”の血を飲んだ司祭は、何十歳も若返った姿になっていたのです。

若返った司祭は大きな木箱に”天使”を入れて島に連れて帰り、ポール神父と名乗りました。そして、聖体拝領のワインに”天使”の血を混ぜてミサの参加者たちに飲ませていたのです。住民たちは知らないうちに”天使”の血を摂取していたのです。人々の不調が治ったのも、リーザの足が治ったのも、ミルドレッドが若返ったのも、”天使”の血の影響だったのです。

腰痛が治った程度の話だけなら大騒ぎにはならないでしょうが、損傷により歩けなかったはずの足が治っただとか、明らかに若返っているなどの通常では有り得ない現象を目の当たりにしては、カトリック信者じゃなくても「奇跡」だと思ってしまいますよね。イスラム教徒のアリが惹かれるのもむべなるかな。サラが感染症の線で考察していたので科学的な理論で説明つくのかなと一瞬期待したのですが、最終的にはやはり現代科学を超越した現象ぽかったですね。

プルーイット司祭が奇跡の血を持つ”天使”を島に連れて来たのは、とても個人的な理由からでした。司祭は若い頃、夫がいたミルドレッドと肉体関係を持ち、その結果生まれたのがサラだったのです。司祭もミルドレッドもそのことをサラには秘密にしていました。司祭は、老いて認知症に苦しむミルドレッドと愛しい我が子サラのために”天使”を連れて来たのです。司祭は幼い頃に姉をポリオで亡くしていて、その時の恐怖から死を恐れていました。愛する者を死から救いたいというより、司祭自身が愛する者を喪うことを恐れていたんじゃないでしょうか。また、セカンドチャンスが欲しかったとも言っています。自分が父親であることを告げられずに年老いた司祭は、サラとミルドレッドと共に家族として暮らす人生を願ったのでしょう。

それにしても、”天使”の血を飲んで若返る人と若返らない人がいるのは何でなんでしょう。後期高齢者ぐらいまで老いないとダメなんですかね。もしくは認知症の有無が関係してるのかな?ミルドレッド以外誰もポールが若かりし頃のプルーイットと顔が同じだと気づかなかったのもちょっと不思議でした。同年代の人が他にいなかったんですかね。

私は聖書を読んだことないですし、信仰している宗教も特にないのですが、ポール神父の講話(って言うんですかね?説教?)は聞いていてすごく心惹かれました。とてつもない熱量が伝わってきて、一種の魅力的なプレゼンなようなものに見えたんですよね。時に歌っているようなリズムがあり、絶妙なタイミングで机を叩いて鼓舞したり、コール&レスポンスみたいなノリもありませんでした?関心を引くのが巧みでした。ただ、話の内容は全く頭に入ってこなかったんですけど(笑)。私は聖書のお話を理解できないみたいです。カラフルな誇張って何ですか。リズムや音色や抑揚には間違いなく惹き込まれましたが、信仰心がないという点で、ライリーがちょっと距離を置いてるような反応をしちゃう心情にもめっちゃ共感しちゃうシーンでした。

”天使”

”天使”の血で若返ったプルーイット司祭は島に来てしばらくして体調が悪くなり、ベヴァリー、ウェイド、ドリー、スタージの目の前で吐血して死亡してしまいます。血走った目を見開いてかなり恐ろしい形相で確かに死亡したはずの司祭は、しかし、彼らの目の前ですぐに生き返ったのです。生き返った司祭は日の光で焼かれる肉体になっており、その上、血に飢えていました。血に飢えた司祭は、禁酒会の参加者であるジョーの首に噛みついて血を啜り、彼が死亡するまで貪り尽くしたのです。

猫の死体が大量に打ち上げられていたのも、血に飢えた”天使”の仕業だったんですね。3話で司祭の壮絶な死に方を見た時すごいゾッとしたのですが、まさかそこから生き返ってしかも吸血鬼になっちゃうとは思いもしませんでした。そう、司祭は”天使”って呼んでますけど実態は吸血鬼ですよね。あのビジュアルの生物をよく”天使”と形容したなと、司祭の感性が全く理解できません。どう見ても天使より悪魔だし、日光が天敵で、血を吸う化け物なんて完全に吸血鬼です。それが明らかになってもまだ”天使”って言ってるんですから、「正気か?」と問いたくなりましたが、アレが”天使”に見えるほどアレのもたらす奇跡があまりに奇跡だったということでしょう。永遠の命と若さは人間の夢ですもんね。

”天使”の血の特性についてまとめておきたいと思います。血を摂取した段階で若返りや病気の治癒効果があるものの、日光の下に出ることは普通にできるようです。体内における”天使”の血の割合が低いから大丈夫なのだと思います。ただ、採取した血液は日光に熱反応を起こしました。で、血を摂取した者は死亡しても生き返ることができるけれど、完全に吸血鬼の体になってしまうんですね。太陽光に当たると体が燃え上がり、傷はすぐに治癒するようになり、激しく血を欲するようになるのです。死んで生き返ると、体内の血液が吸血鬼の成分に完全に変化してるってことですかね、不思議です。不死となりますが、太陽に焼かれて燃え尽きると生き返ることはできないようです。また、吸血鬼になった者の血を飲ませることで吸血鬼化させることも可能です。

初め、プルーイット司祭は洞窟で”天使”に首を噛みつかれた時に一度死んだのかと思っていたのですが、あそこでは死ななかったんですね。だから、島に戻ったばかりの頃は普通に太陽光の下に出ることができた。そこらへんよくわかってなくて、混乱しました。司祭が次第に体調崩して死亡したのは血が原因なのか、単なる疾患とかだったのか、何なんでしょう。また、”天使”自体の正体や目的もはっきりとは描かれていなくて謎ですね。彼(彼女)は元は人間だったのか、本当に神の使者である”天使”なのか、永遠の命を広めることを目的としていたのか…。

ライリーの罪と愛

ポール神父がジョーに関して嘘をついたことを不審に思ったライリーは、夜、公民館にいる神父の元へ戻り、そこで”天使”に襲撃されました。ライリーは神父の声で死から復活し、神父の正体や自分が吸血鬼となったことを知ります。怯えて拒絶するライリーに、司祭は神から贈られた素晴らしい奇跡を受け入れるよう説きます。司祭はジョーを殺害したことに罪の意識も後悔も感じていないと言いました。ベヴァリーが示してくれた聖書の解釈によって、神の意志を実行しただけだと考えたからです。人を殺したことに罪を感じていていない司祭は、同じく人を殺してしまったことのあるライリーに、罪を感じていないことをどう思うかと問い質します。問い詰められたライリーは「嫉妬する」と本音を答えたのでした。

ライリーはミサに通わされてましたが、聖体拝領は受けてないですよね?襲撃されたその場で”天使”の血を与えられたんですかね。それにしても、ライリーが吸血鬼になった後の司祭との一連のやり取り、司祭が何を言ってるのか私にはさっぱりわかりません。ジョーを殺したことに司祭が罪悪感を感じないのは、「へブル人への手紙9章14節」というのがきっかけになってるっぽいですが、その引用内容を聞いていても意味がよくわからないし、なんでそんな解釈ができたのか謎でした。頭を抱えるライリーはたぶん「もう聖書はウンザリだ」って思ってるんじゃないかしら。何で司祭は罪の意識を感じないんでしょう。殺した相手がジョーじゃなかったとしても感じなかったでしょうか。

ライリーの「嫉妬」という答えも最初ピンとこなかったのですが、毎日罪の意識に苛まれている自分に対して、司祭はそこから解放されているから嫉妬するということでしょうか。ライリーは轢き殺してしてしまった少女を毎晩夢に見るくらい、罪の意識に囚われていましたから、とても苦しかったでしょう。苦しみから解放されたいけれど解放されてはいけないという思いがあったのだと推測します。だからこその「嫉妬」なのかなぁ。ライリーはちゃんと自分が犯した罪の重さを理解して向き合っている人間だと思いますけどね。

吸血鬼となったライリーは夜中にエリンの元を訪れ、手漕ぎボートに乗せて沖合へと連れ出しました。そこで、自分に起きたことを全てエリンに話したのです。ライリーは、海に出ることで自分の逃げ場を封じ、その目で見たものしか信じないであろうエリンを信じさせたかったのです。そして、ボートに乗って島から逃げて欲しいと願ったのです。愛していると伝えたライリーは、地平線から昇って来た朝陽を全身に浴び、エリンの目の前で焼き尽くされたのでした。

誰かの血を飲んで生きる体になってしまったライリーは、愛するエリンや家族や島の人間を守るために、自ら犠牲になったんですね。主人公だと思っていたライリーがここで物語から退場したのは衝撃的でした。そして、彼が最後に見せた大きな愛と勇気は悲劇的で美しかったです。轢き殺してしまった少女が微笑んでくれて、ライリーは赦されたんですよね。ライリーが、人の命を奪ってしまった自分自身を最期に赦せたということだと思います。

とても感動的なシーンでしたが、私はてっきり木製のボートだと思っていたので、「ボートも燃えてエリン溺れ死ぬじゃん!」ってちょっとハラハラしました。木製じゃなかったみたい。

燃える狂信

エリンはライリーに起こったことをサラに話しました。母親の若返りや血液の熱反応をその目で見ているサラはエリンの話を信じます。サラは保安官に教会の調査を依頼しますが、保安官は波風立てずにやっているにもかかわらず彼の信仰を理由にベヴァリー達にテロリスト扱いされているため、教会の調査は難しいと断りました。そして、復活徹夜祭が始まります。

復活徹夜祭で教会に集まった多くの人々の前で司祭は自分の正体を明かし、スタージを使って死から甦る奇跡を皆に見せます。”天使”も姿を現しました。司祭は皆に毒物入りの飲料を配って、永遠の命を手に入れるよう促します。毒物を飲んだ者が次々に倒れますが、皆すぐに息を吹き返しました。しかし、吸血鬼となった彼らは血を欲して周囲の人間を襲い始めます。阿鼻叫喚となった教会から、エリンやサラたちは逃げ出しました。ベヴァリーは、司祭から閉めておくように言われた教会の扉を開けることにします。福音を広めるために。

とんでもない復活徹夜祭となりました。たぶん皆、配られた飲み物か特別な祭りに奇跡パワーがあると認識してると思うのですが、実際はもっと前から種は撒かれていたわけで、そのことに気付いてないでしょう。アリが父親の制止を振り切って毒物を飲んでしまうシーンは切なかったです。親がイスラム教でもアリにはアリの信仰の自由があり、それを尊重することは大切ですが、目の前でこんな危険で奇怪なことが行われていたら親としては到底認められませんよね。息子を必死に止める保安官に対して、狂信者と化したリーザの両親が娘に毒物を飲ませようとしているのが恐ろしかったです。

司祭が教会の扉を閉じておきたかったのは、ミサに来たことがなくて”天使”の血を摂取したことがない人が襲われないようにするためですかね?それなのに、べヴァリーはこの奇跡を世に広め、受け入れない者や異教徒・不信心者・(ベヴァリー目線の)罪人などを「神に選ばれなかった者」として排除するために扉を開いたのでしょうか。もう、ベヴァリーが全ての元凶と言っても過言ではないくらいムカつく人で、彼女自身がテロリストになってるんですよね。9.11のテロを起こしたのはイスラム原理主義の過激派ですが、ベヴァリーは彼らと信仰する宗教が違うだけで、思想の根本は変わらないように見えました。ベヴァリーはとにかく聖書の暗記量が凄まじくて、司祭にすらも「聖書にはこうある」って教えれるほどすぐに引用できちゃう人なんですが、自分に都合の良いように解釈したり、出来事を歪曲して聖書に当てはめ、「全て聖書に書いてある」ことにするんです。恐ろしい女ですよ。こういう人は普通に存在しますよね。宗教に限らず、思想が先鋭化して狂信的になってる人って、教義も道理も理屈も全部自分達に都合のいいように捻じ曲げて解釈して利用し、自分は正しいと譲らないんです。ベヴァリーは決して、宗教に溺れた人を体現しただけではない存在だと思いました。

吸血鬼化した信者は教会を出て、血を求めて”天使”と共に島中で人を襲います。子供であるリーザとウォーレンをカヌーで逃がし、エリンたちは島に残って数分でも時を稼ぐために戦うことにします。吸血鬼が本土へ渡ってしまうのを少しでも遅らせ、世界を、見ず知らずの人を数分でも守るための戦いです。一方、ベヴァリーは島中の家を燃やし始め、教会を方舟と称してそこに島民を集めます。ベヴァリーは救う者を選別して本土へ渡ろうと司祭に進言しますが、司祭は自分の行いが間違いだったと認めて彼女と意見を違えました。サラは不死の血を摂取することを拒否して死亡し、エリンたちに船と教会を燃やされた島民は逃げ場を完全に失い、島にいた全員が朝陽に焼かれて死亡しました。エリンに翼をボロボロに傷つけられた”天使”は上手く飛ぶことができず、日の出から逃げきれずに消滅。燃える島を海上のボートから眺めていたリーザは治癒したはずの足の感覚を失い、”天使”の血の効果が消滅したことを悟ったのでした。

吸血鬼が人を襲いまくる光景は、ゾンビものっぽかったですね。ベヴァリーが家を全部燃やし始めたのは意味不明でした。何でそんなことしたの…?ヨハネの黙示録になぞらえたかったみたいですが。聖書の物語を再現したいあまり全く合理的でない愚行を犯し、結果皆を滅亡へと追いやったわけですね。また、助ける人間を選別しようとするなど、ベヴァリーは烏滸がましいにも程があります。保安官に放った「汚れた血」も最低な差別発言です。最期まで自分だけ助かろうとしていた姿も見苦しかった。ベヴァリーは自分こそが神の使者、或いは神そのものであるかのような振る舞いでした。アニーに「あなたは悪い人間だ」とハッキリ言われたシーンは胸がスッとしましたよ。皆が大切な人たちと寄り添って最期を迎える中でベヴァリーは独りぼっちだったのは、哀れな狂信者の最期に相応しかったです。

教会が燃えた後にイスラム教徒である保安官がベヴァリーに聖書の一節を引用するんですよね。彼は聖書の知識もあったんでしょう。勉強してなければ、異教の聖典の引用なんて咄嗟にできないですもん。カッコよかったです。息子を守り切れなかったのは悔しいと思いますが、息子が太陽に焼かれるより先に父が絶命したのはせめてもの救いだったかな。キリスト教の讃美歌がバックに流れる中でイスラム教徒の父子が最後の礼拝を行うのは、信仰が異なっていても人の最期のよすがとなるものは同じであるように感じました。

エリンが死の間際、ライリーとの会話を回想しながら「死んだらどうなるか」「神」「自分自身」について語るシーンがあります。宇宙の話にまで広がって非常に哲学的で深くて難解ですけれど、すごく素敵なんですよね。死に瀕していても穏やかで、怖れもなく、良い最期でした。

島民たちが『主よ御許に近づかん』を歌い始め、互いに赦し合いながら日の出を迎えて一斉に燃え死ぬのは、とても悲惨なのにとても美しかったです。朝焼けを浴びながら赤く燃え盛る絶海の孤島がもう絶景なのですよ。『主よ御許に近づかん』はタイタニックが沈む時に音楽家たちが演奏していた讃美歌です。美しく物悲しい最期にピッタリ合いますねぇ。エリンが翼を傷つけてくれたおかげで”天使”が太陽に焼かれ、島を脱出したリーザとウォーレンの体内からも”天使”の血の効果が消滅したようです。子供二人だけは生き延びましたがほぼ全滅エンドなわけで、ハッピーエンドとは言い難いかもしれません。でも、ライリーが自分を犠牲にして真実を伝えたエリンが”天使”を消滅へと導き、結果世界は吸血鬼の脅威から守られたのですから、エリンが言うようにこれ以上の愛はない終わりでしたね。

最後に

信仰って不思議ですね。何事も狂信はよくありませんが、信じることは時に力になり、救いにもなります。一夜にして理不尽にも滅亡することになった島民たちが、怒りをベヴァリーに向けて醜く争うこともせず、静かに死を受け入れて消えていったのも、信仰のなせることなのかなぁと感じました。特定の信仰を持たない私には宗教に基づく行動を理解できないことがありますし、こういう狂信化するストーリーを見ると無宗教で良かったなんて思ったりしますけど。この先の人生、どん底で困り果てた時に縋りつくのは宗教かもしれませんね。…嫌だ(笑)

登場人物が長台詞を語るシーンがたくさんありましたが、どれも迫真の演技で印象深かったです。惹き込まれる語り口なんですよね。憎きベヴァリーの言葉も全然イライラとかしなかったし、なんなら聞き入っちゃいました。役者さんたちの演技が素晴らしかったです。

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