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映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』ネタバレ感想:映画を見ればゲームがしたくなる

映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』

映画『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を鑑賞しました。全世界興行収入で『アナと雪の女王2』を抜き、アニメーション映画の歴代記録を更新したと話題の作品です。マリオといえば任天堂のゲームキャラクターですが、その任天堂と『ミニオンズ』のイルミネーションがタッグを組み、正にファンが望んでいたような、大人から子供まで楽しめるマリオの映画を届けてくれました。

ストーリーや演出等に真新しさがあるとか、考えさせられる深いテーマがあるとか、ビックリするような大どんでん返しがあるとか、そういうものではありません。マリオのゲームを楽しんだことがある人なら懐かしさを感じたり嬉しくなったりする要素が満載の映画だなと思いました。ちなみに、私は2Dの吹き替えを鑑賞しました。

あらすじ

ペンギン達が住む氷の王国に、突如としてクッパの要塞が現れる。世界支配を目論む大魔王クッパはペンギン達の王国を侵略し、パワーアップアイテムであるスーパースターを手に入れた。一方、ニューヨークのブルックリンの配管工であるマリオと双子の弟ルイージは、独立して「スーパーマリオブラザーズ」という会社を立ち上げたばかりだった。中々上手くいかず、父親からも非難される中、ブルックリンの街が水浸しになる事件が発生。マリオとルイージはビジネスチャンスだと意気込んで配管修理に駆けつけるが、地下にある土管に吸い込まれ、離れ離れになってしまう。マリオが行き着いた先は、キノコだらけの不思議な国だった。

作品情報&予告動画

原題The Super Mario Bros. Movie
監督アーロン・ホーバス
マイケル・イェレニック
脚本マシュー・フォーゲル
原作『スーパーマリオ』(任天堂)
製作クリス・メレダンドリ(イルミネーションの創業者でCEO)
宮本茂(マリオシリーズの生みの親で任天堂代表取締役フェロー)
音楽ブライアン・タイラー

登場人物&キャスト

マリオ

ブルックリンの配管工。赤い帽子に赤いオーバーオール、そして口髭がトレードマーク。明るくポジティブでめげない性格です。キノコが嫌い。土管に吸い込まれてキノコ王国に辿り着き、はぐれた弟ルイージを助けるために奮闘します。マンマミーアが口癖。声優を務めているのはクリス・プラット。日本語吹き替え版は宮野真守。

ルイージ

マリオの双子の弟。緑の帽子に緑のオーバーオール、そして口髭がトレードマーク。マリオに比べてやや気弱ですが、やる時はやります。土管に吸い込まれてマリオとはぐれ、クッパが支配するダークランドに迷い込んでしまいます。声優を務めているのはチャーリー・デイ。日本語吹き替え版は畠中祐。

ピーチ姫

キノコ王国のプリンセス。身体能力が高く、負けん気が強く、物怖じしません。クッパの野望を阻止しようと動いており、弟を助けたいマリオと共闘することに。本当はマリオ同様に別世界の出身ですが、幼い頃にキノコ王国にやってきてキノピオ達に育てられ、プリンセスになりました。声優を務めているのはアニャ・テイラー=ジョイ。日本語吹き替え版は志田有彩。

キノピオ

キノコ王国の住民キノピオの一人。キノピオは皆外見がそっくりで、「かわいい」を自覚しています。キノコ王国にやって来たマリオをピーチ姫のところまで案内し、クッパ打倒の際にはピーチ姫を守るために同行します。声優を務めているのはキーガン=マイケル・キー。日本語吹き替え版は関智一。

ドンキーコング

ジャングル王国の王クランキーコングの息子。ピーチ姫がクッパに対抗すべく同盟を申し入れに来た際、マリオと勝負することになります。声優を務めているのはセス・ローゲン。日本語吹き替え版は武田幸史。

クッパ

カメ族の大魔王で、ダークランドの支配者。ノコノコやクリボー、カメックなどのたくさんの部下がいます。ピーチ姫と結婚し、2人で世界を支配するという野望を持っています。ピアノが上手です。声優を務めているのはジャック・ブラック。日本語吹き替え版は三宅健太。

ネタバレ感想

マリオのゲームで遊びたくなった

ストーリーは単純明快です。土管に吸い込まれて異世界・キノコ王国に飛ばされてしまったマリオは、途中ではぐれてしまった双子の弟ルイージを助けるため、ピーチ姫とともにクッパに立ち向かうお話です。マリオの助けなんていらない程強く逞しいピーチ姫の活躍があったり、敵対しつつも最終的には息の合ったコンビネーションを見せるマリオとドンキーコングの熱い共闘があったり、クッパがピーチへの想いをピアノで弾き語るコミカルで憎めないやつだったり、マリオとルイージの兄弟愛に胸がグッとなったり。そして、最後はスターで無敵になったマリオとルイージが敵をなぎ倒していく爽快な勝利が描かれます。

私のマリオ歴に触れておきますが、世代がバレちゃうんですけど、プレイしたことがあるタイトルは『マリオブラザーズ』『スーパーマリオブラザーズ』『スーパーマリオブラザーズ2』『スーパーマリオブラザーズ3』『スーパーマリオカート』です。たぶん。3はタヌキマリオとか出て来たのでよく覚えてます。とにかく下手だったので、ピーチ姫の救出に成功したことはありません(笑)。クッパにも会えたかどうか覚えてない…。マリオカートは大好きでめっちゃ遊んでました。あと、『スーパードンキーコング』と、大人になってから『ドンキーコング リターンズ』も遊びました。トロッコのステージが好きでしたが、これもやはり下手でした。それ以外のタイトルはやったことないんですよね。スマブラもやったことないです。ちょっと前に好きな配信者さんが『マリオカート8 デラックス』をやってるのを見て、知らないキャラがたくさんいることに驚き、そしてめっちゃ久しぶりにマリオカートがやりたくなりました。

こんな感じなので、マリオ好きとは到底言えないしマリオに特別思い入れがあったわけでもないのですが、子供の頃に遊んだ思い出は残っています。音楽とか結構覚えてるんですよね。最近やったゲームなんかより覚えてます。子供の頃の楽しい記憶って、大人になってから経験したものよりもよく覚えてるんですね。そして、この映画を見てるとその頃の記憶がぶわーって甦ってくるんです。こんな横スクロールのアクションだったなぁ、こんなアイテムあったなぁ、旗に飛びついたなぁ、レインボーロード難しかったなぁ、スターの音楽は昔からこれだったなぁ、なんて懐かしい気持ちでいっぱいになりました。友達が家に来て一緒に遊んだことも懐かしんだし、映画後に旦那とアレソレは何のマリオのゲームだったっけ、なんて話したのも楽しかったです。

そして、この映画を見て最も高まったのは、「久しぶりにマリオやりたいな!」という気持ちでした。特に、ちょっと前に配信で見てたこともあって、マリオカートがやりたくてたまらないです。正直、評判が良くて期待値が高かった分、内容的には「何でそんなに評価高いんだろう」と感じてる部分もあるのです。それはたぶん私が長いことマリオから離れていたし、ファンではないからでしょう。それでもこの映画を見てマリオのゲーム欲が激増したってことは、マリオ映画として大成功の証なんだと思います。本当にめちゃくちゃやりたくなりました。私はマリオが「マンマミーア」って言うことすら知らなかったですし、他にも私が知らないネタがふんだんに入ってたんだろうなと思うと、そういうのも知りたくなりました。そして、これだけこの映画が世界で楽しまれているということは、私が思ってたよりもずっと世界中の人からマリオは愛されてたのでしょうね。

反ポリコレが評価された?

本作は批評家からは酷評され、逆に観客からは絶賛されるというニュースが話題になっていました。そのため、SNSでは「マリオが観客に評価されたのは反ポリコレだからだ」的な趣旨のツイートが結構バズっていました。私はポリコレが不要だとは思いませんが、過剰に押し付けられることには辟易しています。例えば、既存キャラの人種などを変更したり、キャラの属性と演者の属性を一致させようとしたり、過去の作品を現代の価値観で裁いて禁止や改変する行為には疑問を感じます。勿論全てがNGというわけではなく、個々の作品の制作環境や状況、テーマや魅せ方によっては必要な時もあるしそうせざるを得ないこともあるでしょう。それが成功することも多々ありますし、私も支持することもあります。なので、一概にこれらの良し悪しは言えず個々の作品での判断になるのかもしれません。ただ、先鋭化したポリコレ推進派の言動にうんざりしているところがあるので、「マリオは反ポリコレ」的なツイートが気になって観たくなったのです。

で、観た感想としては、別に反ポリコレではないと思いました。ポリコレというか、確実に時代の風潮みたいなのはちゃんと意識して作ってると感じましたよ。ただ、それが過剰ではなく、オリジナルとの乖離や原作破壊を感じさせず、純粋にエンタメとしてマリオを楽しめるストーリーだったから、ポリコレ嫌いの人にも好意的に受け入れられただけだと思います。

ピーチ姫があそこまで強い女性として描かれたのは、ポリコレの影響が皆無だとは思えないですから。勿論、ゲームで既に戦うお姫様キャラだったのはわかります。私がプレイしたことあるマリオブラザーズではずっと攫われるお姫様でしたが、初代マリオカートで操作キャラとして登場してたので、ピーチが戦えるキャラだという片鱗は見せていました。それからもう何十年も経過してるので、今回の映画で突然ピーチが強くなったわけではなく、色んなゲームを経てピーチは戦う姫キャラになってるはずです。それは、ポリコレというワードで騒がれるようになる前から、時代の流れや価値観の変化に合わせていったんだと思うんですよね。そんな任天堂が映画製作においてポリコレを意識しないとは思えません。

ピーチが戦闘力として強かったのは想定の範囲内でしたが、性格も強い女だったことにポリコレの影響を感じました。私はピーチを救えたことがなかったし、彼女が他キャラとしゃべったり交流するような場面を見たことがなかったので、性格をよく知らなかったんですよね。なので、勝手に穏やかでおしとやかなイメージを持っていました。ただ、ピーチの性格をググると、基本的には優しくおしとやかと出てきますから(ゲームによって違うみたいですが)、そのイメージはあながち間違ってないと思うのです。そして、攫われるヒロインの代名詞的な説明もあるんですよ。

長い時間の中でキャラ設定が変わってきたといえど、そういう代名詞に使われることもあるピーチが映画ではその要素をほとんど見せなかった(キノピオを人質に取られて仕方なく結婚に応じたのは敵に狙われるヒロインの名残に感じました)のは、ポリコレの影響だと考えるのが自然だと思います。まあ、欧米ではおしとやかって男女ともにあまり好まれない気がするし、守られるだけのヒロインは日本の女性にも人気ありませんから、需要との兼ね合いもあるかもしれません。もしゲームで既に映画そのまんまの性格だったのだとしたら、映画よりも前からポリコレを意識した性格に変わっていたんだと思います。個人的には、女性がおしとやかであることが悪いことであるように創作物から排除されるのはモヤッとしますが。

ピーチではなくルイージが攫われるポジションだったことも、ポリコレの影響を否定できないですよね。ルイージがそのポジションになったことは、とても良かったと思います。マリオとピーチは初対面だから、ピーチが攫われたところでマリオが命をかけて奮闘する理由がありませんからね。大事な弟を助けるため、という意味がある方が自然です。こうやって、自然な流れでピーチを従来の攫われるヒロインから脱却させるのは良いと思いますし、ポリコレの意図があったとしても見せ方次第で反発されにくいのでしょう。

思想が先走ってるようなのだと、ポリコレにうんざりしてる層には嫌悪感を持たれてしまいがちです。どう考えてもポリコレを意識して作られてるので「マリオは反ポリコレ」というのは言葉として正しくないと思いますが、思想の先走りのようなものを感じなかったという意味なのかも。ファンがこれまでのゲームで培ってきた体験やイメージを崩しすぎないことも大切ですから、マリオはそことポリコレとのバランスが上手く取れてる作品だと言えるのではないでしょうか。

最後に

マリオに大家族がいたことと、マリオが別世界からキノコ王国に来たことに衝撃を受けました。お父さんとお母さんいるんだ!?マリオって異世界転移モノだったの!?って。映画用の設定でしたけどね!あと、マリオとルイージって兄弟だと思ってたから、双子だと知ってこれも驚愕でした。

エンドロール後にヨッシーの卵が出て来たので、続編がありそうですね。

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